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【令和8年4月27日のコラム】
人をまとめる立場になって、ようやく気づいた「自分軸」のこと
ふと、台所の蛍光灯の下で立ち尽くす夜がある。
いやダウンライトの下。
BGMは藤井風の満ちてゆく。
仕事を終えて、子どもたちの寝息が聞こえる部屋の隣で、コップ一杯の水を飲みながら、「今日、自分は何をしていたんだろう」と思う。
チームの調整、誰かのフォロー、誰かへの気遣い。
気づけば、自分の声だけが、一日中どこにも置かれていなかったような気がする日。
そんな夜が続いた時期が、ぼくにもあったし、現在進行形でもある。
正直に書く。
役割が変わって、人を束ねる立場になった。
表向きは順調に進んでいるように見えるかもしれない。
でも、心の奥のほうで、ずっと小さな違和感が鳴り続けていた。
「自分は、本当はあまり、誰かと何かをやるのが好きじゃないのかもしれない」
これを認めるのは、けっこう勇気が要ることだった。
社会人として、家族を持つ人間として、「協調性」や「リーダーシップ」みたいな言葉から、簡単には逃げられない。
だから長い間、その違和感に蓋をしてきた。
そんな時期に、ひとりの若い社員がいた。
自分軸で生きている(ぼくにはそう見えた)人だった。
言葉に棘があって、人との摩擦も多かったと思う。
けれど、その棘の奥には、ぐっとまっすぐな芯があった。
曲げないものを、ちゃんと持っていた。
ぼくは正直に言うと、彼が羨ましかった。
調和を選ぶことに慣れすぎて、自分の輪郭がぼやけていく毎日の中で、「曲げない人」がそこに立っているだけで、空気が違って見えた。
彼はもう、会社にはいない。
けれど、置いていったものがある。
それは、「自分の軸で立つ人間は、こういう佇まいなのか」という、静かな問いのようなものだった。
ぼくの原動力は、シンプルだ。
子どもたちとの時間が、何よりも愛おしい。
この時間を、もっと大事にしたい。
そのために、自分でできることを、ひとつずつ増やしていきたい。
誰かに任せきりにするのではなく、自分の手で、暮らしを編み直していきたい。
DIYも、ブログも、家具のことも、文章を書くことも。
ぜんぶ、根っこは同じところに繋がっている気がしている。
「どうやったら今よりも良くなるか」
それは派手なことじゃない。
SNSでバズる類のものでもない。
けれど、台所で立ち尽くしていた頃の自分には、確実に届かなかった景色だ。
今の心境を天気に例えるなら、「長く続いた雨が、ようやく明け始めた空」だと思う。
まだ全部が晴れたわけじゃない。
雲は残っているし、また降り出すかもしれない。
でも、確かに、青空の断片が見え始めている。
その断片を、僕は自分の手で、少しずつ広げていきたい。
これを読んでいるあなたにも、きっと、似たような夜があると思う。
役割に追われて、誰かに気を遣って、自分の声だけがどこにも置かれていない夜。
「このままで、いいんだっけ」と、何処かでふと立ち止まる夜。
そんな夜は、否定しなくていい。
むしろ、それは雨が明け始めるサインだったりする。
派手に何かを決意しなくていい。
SNSで宣言しなくていい。
ただ、静かに、心の中で
「自分の軸で、自分の暮らしを、作っていこう」
そう、ひとつだけ決めてみてほしい。
その小さな決意が、あなたの空に、最初の青空の断片を呼び込むはずだから。
では、じゃばら。