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いったんDIYをやめたけど、また戻ってきた話

2026年。改めて。
ぼくの中でDIYピークだったと感じる2018年のブログ記事を読み返して思うことがあったので、書き連ねていく。

2018年、賃貸にどかんと。自分でよくこんなの作ったなぁと関心。
2026年になりました。
しばらく、DIYから距離を置いていました。
嫌いになったわけじゃない。ただ本当に時間が足りなかった。だって唯一の大好きな趣味だったんだから。
ただ、「やらなくても暮らせるな」そう思ってしまっただけ。
家族は2人増えて、収入もぶっちゃけると転職して2倍以上に増えている。
DIYに割く時間、そして既存品で済んでしまう実情。子どもたちとのひととき。木屑も、工具の音もしない生活に、いつの間にか慣れていた。
DIYをやめた理由は、たぶん単純だった
DIYって、体力も気力もいる。そして時間が何より必要。
材料を考えて、運んで、失敗して、やり直す。完成するまで、部屋は散らかりっぱなし。
「作る暇あるなら、子どもたちと遊んでよ。」
そんな妻の言葉は全く正論だった。そうやって、やらない理由は正当化されていた。
でも、部屋の中を見渡すたびに、どこか自分がいない感じがしていた。
昔つくったカウンターが、一瞬だけ目を引いた

この年末年始、ぼくは自分のブログを見返していて、8年前に作ったカウンター棚が目に入る。
もともとは実家の出窓用に格子を作って、賃貸へ引っ越しと同時に役目を終えたまま、置き去りになっていたもの。

改めて見ると、正直、精度は甘い。もちろん歪みもあるし、見せられないようなズレとかも正直あったと思います。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
「あぁ、こういうの作るの、好きだったな」
思い出した、というより体が思い出した.そんな感じだった。
そして、大型ディスプレイカウンターへリメイクしたんだ
キッチンとリビングを仕切る、ちょっとやりすぎなくらいのサイズ。
賃貸の1LDKに、横幅1700mmを超えるディスプレイカウンター。
きっと合理的じゃなかった。
でも、たぶん、ここに「自分」を表現したかったのかなぁと思います。
合理性だけで暮らすのも、やっぱ性に合わないと思ってる。

完成間近でなぜか物足りなくなって、それで、アイアンを足した。
きれいとは決して言えない溶接。
歪みも、ムラもある。
でも、木だけでは出なかった「オリジナリティ」が生まれた。
DIYは、こういう予定外を楽しめることだったんだと思う。
木に触ると、あの時の感覚が戻ってくる

久しぶりの作業は、思った以上に時間がかかったし、すごく疲れた。
でも、不思議と充実感。これが「楽しい」って言う感覚じゃないか。
木に触っていると、「早く終わらせる」より「ちゃんとやる」ことの方が大事になる。でも時間は限りがあるから、妥協もある。
それがDIY。
ぼくは以前、「DIY」という言葉に定義づけをした。
「どうやったら、今より、よくなるか。」
なんか涙が出てきました。
今は、いかに現状を維持するかに躍起になっていたから。
それは家族が増えて、守るものが増えた証拠だけど、自分はなんだろうと思うときもたまにやっぱあるよね。
あの時、手作りしたカウンターは暮らしを変えたのか

正直、暮らしは劇的には変わんなかった。
でも、空間が区切られて、気持ちの切り替えがしやすくなった。
好きな本やCD、気に入ったものだけを並べて。部屋が“住んでいる場所”から“戻ってくる場所”に変わった気がした。
そして、現実は急に突きつけられる
完成して設置した初めての日。
仕事から帰ってきた妻。
棚を見るなり、ひと言。
「なにこれ、邪魔。一刻も早く撤去して」
……これが「DIYあるある」である。確かにデカすぎるし、邪魔である。
でも不思議と落ち込まなかった。いや、作り上げた達成感が大いに勝っていた。(次の休みの日に解体)←
「また、離れてもいい」そんな距離感でDIY再開しよう

DIYは、毎日やらなくていい。
むしろ、それは何のためにやってるのだと今なら立ち止まれるはず。
また1度離れてもいいし、また戻ってきてもいい。
そんな距離感が大切よね。
あのとき棚を作ったのは、「作品」を残すためじゃなくて、自分を表現するためだった気がする。
賃貸でも、仮住まいでも、暮らしはちゃんと、自分のものだ。
さて、築45年の一軒家をフルリノベーションした。
そろそろ出番だよね、ぼくの中のDIY。
では、じゃばら。
