こんばんは。むく太郎です。
今日は山の日。
この雲海は、栃木県にある茶臼岳の頂上でみることができます。
記念すべき、初施行の休日。
暑さの入り混じったまぶしい朝焼けもまだ姿を見せぬ、午前4時でした。
出勤の為、立ち寄ったローソンには登山者風の方やバイカー、夏休みの小学生まで。
ざっと10人居るか居ないかのぼくにとっては、時間外の込み具合にちょっと困惑。ぁあ24時間か。
仲間たちとワイワイ今日という1日を愉しむであろう人たちを見て、ぼく。
「そういえば、ぼく。昔から独りで動くのが好きだなぁ。」と。
友人や仲間と一緒に遊んだり、目的に向かって行動するのも嫌いじゃないんだけどね。
あなたにも当てはまることがあるかもしれません。
今回はヒトリについて。考えていきます。
ときどき無性に「ひとり」になりたいのはどうして?
ぼくはトモダチがそんなに多くいません。
学生から社会人になると同時に付き合う人数が1/10くらいまで減った気がする。
周りでソーシャルゲームが流行っても、混じってやるということはなかったなぁ。
ぼくがバンドマン時代の話から今に至るまでの話をします。
ぼくは、バンドマン同士で付き合うのが苦手でした。
というかバンドマンの軽いノリ(一部)が拒絶するほど嫌いだったんです。
ぼくは人付き合い(最近、大事なことだと気づいた)よりもかっこいい音楽や心揺さぶられる人の様をみたかっただけ。
だからバンドは解散しても、1人で路上やインターネット配信でホソボソと活動していました。
もちろん当初は、違和感の連続。
1人での演奏は誤魔化しがきかないことや、バンドで唄っていたころ、背中に感じていたあの心強さはもう無くて。
正直、寂しい。
一方、メンバー内で「このAメロはこうだ。」「ここのベースライン、出しゃばりすぎだべ」とかお互い譲れないところを最後まで譲らないこともあったりしました。
それを揉めない新鮮さもステージ前のリハ(練習)用の狭いスタジオで実感。
ひとりで初めてステージにたった時、全てが分かってしまった。
ぼくは改めて、ただ自分を表現したかっただけなのだということに気が付いた瞬間でした。
誰しも、ひとり時間を持たないと自分の本当の気持ちに気が付くのが難しくなります。
集団にいると自分を除くほかの皆が「右」といえば、自分も「右」が正しいと錯覚してきてしまう。
これは本当に怖いこと。
仲間と過ごした日々の中、ダムのように溜まった想いはひとりになって初めて自分の中から放出されるんです。
ひとりになる時間を増やす事は、逆説的ですが他人との関係をより大切に、真剣に考えようとする機会になります。
1人で活動することになり、数か月。
元メンバーのベーシストをスタジオに誘いました。
互いにアコースティックギターを持ち寄ってね。
演奏していた楽曲や流行りの唄を耳コピで流したり。
なんか楽しい。しかも、なんだこいつ、「ぼくなんかよりも数段うまいじゃないか」
ショックを受けつつ、正直にいうとぼくは彼を心のどこかで見下していました。
バンドに誘い、楽器の弾き方を教えたのは自分。
要望を押し付けてしまったことも多々ある。
そんな元ベーシストはアコースティックギターもさることながら、歌唱もリズムもキー(音程)も外していたものが、久しぶりに聴くと安定して聴きやすい。(しかも声いい)
後に聞きましたが、バンド時代もスタジオで個人練習を数時間していたそう。
やつは言いました。
「もっと早くから練習してバンドに貢献できればよかったね。ひとりでライブ映像(ライブハウスで希望すれば撮ってもらえる)を見てね、自分の何が足りないのか。バンドにとっておれは何ができるか実は研究してた。」
悔しいですが、人間的にも一歩、上手でした。
まさにひとりの時間を大切に、自分と向き合ってバンドという一種の組織を良くしようとしていたんです。
(彼は学生時代の部活で自主練の鬼として有名だった。)
ひとり時間を過ごすために最適な条件は、目の前に。
話は変わって、普段生活をするうえで誰かと一緒に暮らしても、ひとり時間を持つことは大切な事です。
下記の記事内で詳しく触れられていますので、一部ご紹介。
「誰かと一つ屋根の下で暮らしていると、『自分らしさ』がないような感覚に襲われたり、物事を決断できないといった状況を引き起こす可能性があります。一方、ひとり時間を持つと自分の意見を持ちやすくなるし、自分の限界が分かることで他人の必要性やありがたみも感じられると思います」
・・・中略・・・
「自分だけの部屋とはいかないまでも、キッチンやパソコン机など、
家の中に少しでも物事に没頭できるスペースを持つことが大切」
台所に立ちながら過ごすのも立派な“ひとり時間”です。
誰かと無条件で一緒になるならその時間を少しだけ自分にむけてあげましょう。
それは相手にも自分にとってもメリットとなります。
何でもひとりでこなす人、できない人の違い
ひとりで何でもできてしまう人。
仕事もそうですが、買い物やひとり旅、そして目標に向かって自主学習からの行動。
「独り」を有意義に過ごせる人は、独りでいても、自分という存在をしっかり確立している人です。心で誰かと繋がりを確信している人です。
つまり、相手を信頼していること。
反面、いつも誰かと一緒でなければ落ちつかない人は、常に孤独感を感じています。
彼氏と晩から朝方まで電話を繋げたまま眠る女の子の話を聞いた時、ぼくは驚きました。
しかも朝起きて、電話が切れていると怒る。
その彼氏とはぼく同僚で、さすがに嫌気がさし、別れてしまいました。
誰かと形式上は一緒にいることで、その孤独感を埋めているのかもしれませんが、本質を履き違えてしまうと、それは永遠に解消されない病となる。
ひとりになりにくい今の仕組み。
ブログやってて、こういうのもなんですが。
物理的に1人で過ごしていても、なかなかひとりを体験することが難しくなっています。
例えば30代の10人中8人はSNSを利用しているそう。
暇さえあれば、ツイッターやフェイスブックに必要以上に目をやる。
ソーシャルゲームで互いに通信して、盛り上がる。
これは脱出しなければ。
まず、“ひとりじゃいられない症候群”から脱却し、ひとりになること、孤独であることを引き受けなくてはなりません。ひとりになって自分自身の心と深く対話できる人だけが、他者とも(したがって異性とも)深く対話することができるということを身をもって知らなくてはなりません。
ひとり時間をとるコツは、没頭できる趣味を見つけること。
ひとりでいることを忘れるくらい、ひとりでも打ち込める何か、楽しめる何かがあると、寂しさは和らぎます。料理をすることや音楽や映画を観賞すること。模様替えやガーデニングをしたり、何かを手作りしたりすることも、集中できて寂しい気持ちを紛らわすのにうってつけ
じゃあDIYしかないね!
これを言いたかったわけでは、決してありません!
が、何か没頭できることをひとつ持つことが自分を整理し、考える時間をもたらす機会になると思います。
お盆を迎えるこの時期、少しだけ自分と向き合うのもいいかもね。
では。じゃばら。