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前回は、100㎡の家をどう設計したか、その中身の話を書きました。

間取り、素材、予算配分。
大工さんと夫婦で、現場に立ったまま詰めていった半年弱の打ち合わせ。
その話が形になり、いよいよ現場が動き出します。
解体から完成まで、ぼくらが旧友の大工さんと過ごした、半年の現場の話です。
着工と同時に、ぼくら家族は家を出ました。
仮住まいは、築40年の平屋の賃貸です。
夫婦と5歳と3歳、4人そのまま、引っ越して半年を過ごすことになりました。
仮住まいから現場までは、車で15分。
距離にして、10kmほど。
通えない距離ではないけれど、ふらっと寄れる距離でもありません。
それでもぼくは、少なくとも週2のペースで現場に通いました。
進捗の確認もありましたが、それ以上に、現場を見ていないと落ち着かなかったというのが正直なところです。
お金の話も、書いておきます。
融資とかでなく、生活の資金。
リノベ期間中、妻のパン屋は、営業を完全に止めました。
旧厨房から売り場まで、丸ごと工事の中にある以上、続けようがありません。
そのあいだ、妻は外でアルバイトをして、家計を支えてくれました。
ぼくの会社員の収入と、妻のアルバイトと。
これで、半年の家計を回していくことになりました。
派手な暮らしではありませんでしたが、ここでお金を回しきれるかどうかが、リノベ全体の最後の試験だったように思います。

着工は、解体から始まりました。
築50年の家を、まずは骨だけの状態に戻していく。
正直に言うと、ぼくは多少の覚悟をしていました。
ここまで古い家なら、柱の一本や二本、シロアリでスカスカになっていてもおかしくない。
床下を開けた瞬間、構造そのものに手を入れないと立ち行かない事態に転がるかもしれない。
そう思っていました。
ところが、解体が進むにつれて見えてきたのは、想像していたよりもずっと丈夫な家でした。
柱はしっかりしている。
梁にも、目立った劣化はない。
祖父がこの家を建てたときに、無理をせず、いいものをきちんと選んでいたのだろう。
そのことが、半世紀越しに伝わってきました。
もちろん、想定外がゼロだったわけではありません。
風呂場の配管に、はっきりとした劣化が見つかりました。
ここは当初の見積もりには入っていない箇所で、追加費用が発生しています。
古い家のリノベに「想定外」はつきものです。
そのうえで、「ここだけで済んだ」というのが、ぼくらの偽らざる実感でした。

解体のなかで、ぼくの記憶にいちばん強く残っているのは、屋根裏に上がった日のことです。
天井板を外し、剥き出しになった梁。
その一番太い梁に、一枚の板が打ち付けられていました。
上棟板でした。
家を建てた当時、棟上げの日に、棟梁が記念として取り付ける板です。
施主の名前、建てた年月日、大工棟梁の名前が、墨で書かれています。
ぼくが見たその板には、祖父の名前が書かれていました。
ぼくが生まれるよりずっと前。
祖父がまだ若かった頃に、この土地で自分の家を建てるために、この板を上げた。
その板が半世紀のあいだ、屋根裏で黙って梁を見守ってきた。
祖父が他界して15年。
祖母が他界して13年。
その後を引き継いで、父が一人で暮らした時期があり、ぼくら夫婦が住み、子どもが二人生まれた。
そのあいだずっと、この板は、ここにありました。
「壊して捨てる」のではなく、「直して住み続ける」と決めたぼくらの判断が、この一枚の板を、もう一度ちゃんと見上げる時間に繋がりました。
湿っぽい話にはしたくありません。
ただ、あの日、屋根裏で梁を見上げたあの数分間のことは、たぶんずっと忘れません。

現場を動かしてくれたのは、二人の大工さんでした。
ぼくの旧友と、その父親。
数えると、四代続いている地元では知られた大工家庭です。
この2人は、ぼくの弟の家も建てたという縁もありました。
もう何年も現場に立ち続けてきた職人さんです。
このふたりが、ぼくらの家の主な現場戦力でした。
旧友である友人は、現場で手を動かすだけではありませんでした。
建材の業者との価格交渉。
電気・設備・左官といった別職種の職人さんへの指示出し。
工程の組み立てと、見積もりとのすり合わせ。
外部の建築士を入れていないぶん、現場監督的な役割も、すべて彼が引き受けてくれていました。
ぼくが現場に通って気が付くと、いつも誰かと話しています。
業者と図面を広げ、職人さんと納まりの相談をし、ぼくとも今後の予定を確認する。
「大工さんが現場のすべてを動かす」というのを、半年間、横で見続けることになりました。
そして、その横で、父親のほうが黙々と手を動かしている。
派手な現場ではありません。
ただ、ぼくはこの半年で、二代続いた大工の手仕事を、いちばん近い距離で見ることができました。

施工中、ぼくらから一つだけ、強くお願いしたことがあります。
天井板の仕上げを、丸釘でやってほしい、というお願いでした。
いまの現場では、天井板は電動の釘打ち機で、一気に仕上げるのが当たり前です。
スピードが出て、釘の頭も目立たない。
職人さんからすれば、ふつうは何の苦労もなく綺麗に仕上がる作業です。
それを、ぼくらは「手で打つ丸釘で見せてほしい」とお願いしました。
電動工具の真っ直ぐな打ち跡ではなく、職人が一本ずつ手で打った跡が残る天井。
その仕上がりが、無垢材の家にいちばん馴染むと信じていたからです。
ただ、これはやる側からするとひと手間どころではない作業です。
打つ本数が桁違いに増えるし、一本ずつ位置と力加減を確かめながら打たないといけない。
正直、嫌な顔をされても仕方のないお願いだったと思います。
大工さんは、嫌な顔を一度もしませんでした。
「分かった」と一言。
そして本当に、丸釘で、ぼくらの家の天井を仕上げてくれました。
DIYが、ぼくにとってずっと一番の趣味で居続けたのは、「手で仕上げたもの」の良さを、自分の感覚で知っていたからです。
その感覚に、現場のプロが付き合ってくれた。
ぼくらが譲らなかったところに、大工さんが応えてくれた。
その記憶は、いまも家のどこを見上げても、残っています。

半年の現場が終わり、ぼくらはようやく、新しくなったこの家に戻ってきました。
築50年の家が、家族4人と、妻のパン屋を受け入れる形に生まれ変わって。
第6話「完成・暮らし編」では、リノベが終わったあとの暮らしと、住んでみて初めて見えてきたことを書いていく予定です。
長く続いたシリーズも、いよいよ最終話です。
次回も乞うご期待。
では、じゃばら。